性への嫉妬 | 元祖恋愛万博

性への嫉妬

あたしは女です。恋が財産です。

今だからこんなふうにいえる。でもそうなるまでは凄く大変だった。晴れて女になるまでは。

あたしの顔は男顔。だから、よく男と間違われた。小さい頃ならめずらしくないかもしれないけど、中学までそれはあった。でもそれに嫌悪感を持っていたとかはなくて。まあ確かに多少は恥ではあったけど、そう言われるのも無理ないと思ってたし、逆に女の子らしくもできなかったし、それでよかった。

髪も伸ばしたことなかった。スカートも嫌いだった。女の子の好きなものをあまりすきにならなかった。話は男のほうがよく合うと思った。だから「自分は男でいい、むしろ男だ」と思っていた。中学の頃にはそれはだいぶ確信的になってた。入学前、制服を採寸した時に鳥肌が立った。これであたしは「女」として完璧に区別されるんだということが、なんか怖かった。どっちでもない、あたしはあたしだ。

もうひとつ。少し生々しいエピソードになるが、小学校高学年で初潮を体験し、これも怖くて泣いた。「もう戻れないんだ。あたしはもう自分をごまかすこともできない。女になったんだ」って。実家の庭の隅、誰にも知られずに行き場のない思いをこぼした。

中学はそんな自分と真っ向勝負をしたり、無視しようとしたりしながら過ごした。でもそれまでも何度も恋をした。ちゃんと「俺も好きだよ」的な言葉をくれたひともいた。その時あたしと相手は「男と女」だったのだろうか?その答えはNO。あたしにとって恋愛と性は違う。それは自分を女だと言い切れる今でも思う。

高校の頃は思いっきり女を演じた。周りに演じたんじゃなく、自分に。化粧もしたしスカートもはいた。形式・外観的な性にはこだわらないようになった。というかもう麻痺していたのかもしれない。でもそれは苦痛だったとかはなく、むしろその「演技」に何の違和感も感じなかった。

高校時代のおよそ半分ほど、地元のとある飲食店でバイトをしていた。市内では結構の老舗で、そこで一番下っ端で女一人だったあたしは、今まで味わったことのない環境を楽しんだ。周りは二周りも上のおじさんたちで、長女のあたしは「仮想・末っ子」を体験した。あたしの放つ生意気にもちゃんと返してくれたり、かまってくれたり、酒やタバコを覚えたり…とにかく楽しかった。

そんなある日、店員のおじさんに言われたことを今でも覚えている。

「お前、いくらそんな突っ張ってもどっから見たって女なんだからな」

痛かった。
先述のあたしの葛藤なんか口にしたこともないし、第一その頃はすでに自分の性を無理やりに偽ったりなんかしてなかった。なのに、そんなことを言われた。その一言に至るまでの会話は思い出せないけど、もしかすると本当につっぱったことを言ったのかもしれない。でもその一言は、完全には固まっていない心の揺らぎにひどく共鳴した。それと同時に、もう女という性を受け入れて生きるという最後の契約を結んだ気がした。

そして、現在、大学生。契約の破棄はまだ、ない。けど性に嫉妬しないようになる日はきっとこないと思う。自分に嘘をつかずに生きようとすれば、その気持ちのぶん嫉妬はしていくんだと思う。それはきっともう自分が女という枠を超えることはできないと察知してて、子供の頃のニュートラルな心を持った自分を、または男の子をうらやむからだろう。心の奥底ではどちらにも属しきれていない自分が寂しく思ったりもする。